差別と区別
先日、友人よりお食事会への誘いの電話 友人「いつもの食事会をやるんだけど、大丈夫?」 なにやら遠慮がちな誘い方 いつもなら 「食事会やるから、おいでよ♪」 こんな誘い方になるはず ちょっと頭にきた あなたは確かに在日だけど僕はそれを意識したことも、遠慮したことも、逆に気遣ったことも、ありません 私「何、変な言い方してんだよ!(かなり語気が荒くなり)」 冷静さもなかった模様 私「おめ〜がなんだろうと関係ないんだよ。おめ〜んちの”キムチ”が食べて〜んだよ」 ここで二人とも大笑いになってしまい、なんとも私はばつの悪い思いをしたのです。いやほんとうはもっと違う言い方とか、物言いがあったはずなのですが、何より”キムチ”が先に来るあたり私らしいとも思えるのですが・・・ 僕は、彼の家族が在日朝鮮人なのか在日韓国人なのかどうかは未だ持って知りません。ただ彼の家で開かれる食事会に2〜3ヶ月に一度行って酒を飲み交わし、たらふくうまいものを食べ友人としてつきあっているだけ。 差別という意識があるのならば、僕にとって相手の人間性や民族としての文化、友情、愛情そう言ったものより当たり前ですが上に来ることはない(キムチが一番上じゃないか?っと言う突っ込みはご勘弁を)。 民族が同じ民族のある固有の差別を行う 同和の問題で僕はいつも思うのですが、もと彼らがもし人のいやがる仕事をしてきたことによって、今も引きずり差別されているのならばそれは逆で人のいやがる仕事をしてきたことに対する尊敬に値する。 よくテレビ等で、いけしゃ〜しゃ〜と”もと華族”とか”何々家末裔”とか”武将が先祖”言ってテレビに出たりしますけど 恥ずかしくないですか? もし武将の末裔なら、あんたの先祖は何人の人を戦争で殺したんですか? 人殺しの末裔だと堂々とよくテレビに出れますね? あなたの祖先はどんだけ一般市民から搾取してきたんですか? 差別されるべき人間とは、そう言う人たちのことではないですか? 頭が混乱してきたので、続きはまた今度 |